嘉峪关之行

时间:2021-11-01 22:36:38 700字

篇一:《嘉峪关》

嘉峪関

「世界の七つの奇跡」の一つとされる万里の長城は、世界で建造の時間が一番長く、工事規模が最大である古代の軍事防御施設です。その雄大な城壁は東から西へ山々を越え、砂漠を突きぬき、中国北部の地に延々と7000キロ以上も続きます。

「嘉峪関」は「天下の雄関」とよばれて、東端の海岸にある「天下第一関」とよばれる「山海関」から約6000キロ離れた万里の長城の最西端に位置しています。地理的に見ると、嘉峪関は河西回廊西部で一番狭いところにつくられた防衛ラインです。嘉峪関城から北8キロにこの懸壁長城、南7キロに長城第一[土敦]があって、その間を長城の城壁で結んで防衛ラインとしています。そして東はまず守るべき酒泉盆地、西は夷狄の割拠する平坦なゴビ砂漠で、ここに立って見て、嘉峪関の位置選定がいかに合理的であったかがよく分かりました。

嘉峪関の嘉峪とは「すばらしい峠」という意味があります。ここに関を最初に作ったのは、明代の初めのころの馮勝将軍で洪武5年(1372年)といいます。現在の形ちまでに完成したのは1566年といわれているから約200年かけて作ったわけです。トルファンのウイグル族が侵入してきたので、ここに二重の城壁をつくりました。城壁は、高さ10メートル、厚さ8メートルです。内城の東西に三層の望楼があり、内城の城壁に沿って乗馬のまま駆け登れる馬道がついています。明代の嘉靖3年(1524年)には関所である嘉峪関が閉じられて、ここより西に住んでいた漢族は、保護の為にすべて関内の酒泉に移住させられ、ここより西はウイグル族の世界になりました。 嘉峪関は、現在は二重の城壁と、大小あわせて13の楼閣が残っていますが、特に大きな木造の3つの城楼は、日本の天守閣みたいなもので、実戦的なものではなく象徴的なものだといいます。城郭の大きさは東西が250メートル、南北が160メートル、外城壁の高さは9メートルあるといわれています。日干しレンガを積み重ねた外城の周囲は約1,100mあるという。当時ここに常駐していた守備隊は一個大隊で約200人から400人といわれています。

嘉峪関の関城の東には東閘門があります。東閘門に横額が掛かって、そこに天下雄関と書いてあります。東閘門の脇には烽火台が聳えるように立っていて、極めて威圧的です。東閘門を入ると、ゆるやかな登りとなり、舗装道路が続いています。しばらく歩くと小さな広場に出ます。 最初の建物は文昌閣です。文昌閣はよく道観に付設されている廟です。北斗七星のうちの四つを文昌宮といい、文昌神は元来星の神でしたが、道教では文昌帝君と呼ばれ、学問の神様として崇められています。文昌閣から右に行くと、お馴染みの武勇神関聖帝君(関羽)を祀った関帝廟があります。

文昌閣のすぐ後ろの高い城壁の中に、東城門にあたる光化門があります。11メートルほどの城壁の上に、3層の城楼が聳え立っています。さすが数百人の辺境防衛隊が駐屯していたと言うだけあって、見事なつくりです。

城壁、城楼の高さも立派ですが、敵が城内に攻め入ったときに囲い込む瓮城が、東西の城門に設えてあって、厳しいほどの堅牢さです。瓮は首が細い大きな酒を入れる瓶を言います。城内には、まっすぐには入れません。もし敵兵は東閘門から攻め込んだら、城内を目指すには、まず南に回って朝宗門から入ります。この門は南に面して開いています。つまり、東閘門を破って入ってきても、正面は凸面の頑強な城壁しか見えません。東の城門である光化門は、11メートルの城壁に隠れて見えません。

いったん、南に回って朝宗門から入ると、直角に曲がって光化門が東に向いて開いています。敵兵は城内に直線的には、攻め入ることはできません。朝宗門と光化門の間が、高さ11メートルの城壁で四方を取り囲んだ瓮城です。この二つの門を閉めてしまえば、いったん攻め込んだ敵兵もここに閉じこめられてしまいます。一気に東の城門も破る自信がなければ、朝宗門を入ることは、大きく躊躇されるでしょう。

ここの城壁の曲がり角は「燕鳴壁」と呼ばれています。皆さん、小さな石を拾ってください。そしてこの石でそこにある大きな石を叩いてみてください。それでは、よく聞いてください。ほ

ら、燕の鳴き声のような音が聞こえるでしょう。これがいわゆる「撃石燕鳴」だといいます。つまり、石を叩くと燕が鳴くという意味です。現地には次のような物語が伝わっています。

昔には、二羽の燕が嘉峪関の中で巣を作りました。ある日、二羽の燕が餌を探しに関城を出かけました。夕方には、雌の燕が先に帰って来ました。やがて、城門は閉めてしまいました。雄の燕が帰って来ることができませんでした。巣に戻れない雄の燕は悲しそうに鳴いたすえ、城壁にぶつかって、死んでしまいました。生きてきた雌の燕はひどく悲しみ痛んで、今まで悲しそうに鳴いていたそうです。

長城の外、塞外に開く西城門は、更に厳重です。西城門は柔遠門と呼ばれているが、ここも当然瓮城づくりになっています。朝宗門にあたる門が、会極門と呼ばれます。東と西の違いは、西には、さらに嘉峪関門が立ちはだかっています。

皆さん、この城門は会極門です。あそこをご覧ください。一つのレンガがあるでしょう。このレンガは普通のレンガではなくて、定城センと呼ばれています。このレンガに関する物語があります。

昔、易開占と言う職人がいました。嘉峪関を建てる前に、建設を管理する官吏は易開占に「レンガがどのぐらい要りますか。」と聞きました。「99999枚のレンガです。」と彼は答えました。 「よし、この数でレンガを作れ。もしレンガが足りなかったら、あるいは、残っていたら、首を刎ねるぞ。」と官吏は言いました。

嘉峪関が竣工した後、ちょうどレンガが一枚しか残りませんでした。職人たちはこのレンガを会極門の軒、つまり我々の目の前の所に置きました。でも、そのずるい官吏はこのレンガを見つけました。約束のとおりに、職人たちを懲罰しようとした時、易開占はとっさに妙案を思い出して、こう言いました。「そのレンガはこの世のものではありません。ゆうべ、私は夢を見ました。ある神様がこのレンガをそこに置きました。それに、私にこの定城セン触るな、そうしなければ、この城は倒れるぞと言いました。」その官吏はこういう話を聞いて、ほんとだと信じて、仕方なく離れました。これから、そのレンガはずっとここに置いています。

嘉峪関門は長城に設けられた関所のようなものです。西域への出入り口になります。最初に入った東閘門も、いわば長城に造られた城門の一つです。だから、嘉峪関城は外側を長城に囲まれて、守られています。

城内はほぼ方形で、四隅に角楼があり、ウオッチタワーの役割をしています。南北の城壁の真ん中に、各一つの敵楼が設けられています。名称からは捕虜を拘禁するところと思われがちだが、実際は敵を見張るために守備兵が住むほか、食糧、武器の貯蔵庫としても使用する建物です。

単語

防御(ぼうぎょ) 雄大(ゆうだい) 城壁(じょうへき)

東端(とうたん) 懸壁(けんぺき) 夷てき(いてき)

割拠(かっきょ) 平坦(へいたん) 望楼(ぼうろう)

天守閣(てんしゅかく) 移住(いじゅう) 常駐(じょうちゅう)

守備隊(しゅびたい) 閘門(こうもん) 崇める(あがめる)

祀る(まつる) 駐屯(ちゅうとん) 設える(しつらえる)

躊躇(ちゅうちょ) 塞外(さいがい) 四隅(しぐう)

拘禁(こうきん) 刎ねる(はねる) 懲罰(ちょうばつ)

軒(のき) 捕虜(ほりょ) 西域(せいいき)

篇二:《嘉峪关》

嘉峪关东湖生态旅游景区位于嘉峪关南市区。规划总占地面积165万平方米,湖面面积56万平方米,库容315万立方米,其中:一号湖4.85万平方米,二号湖13.2万平方米,三号湖37.95万平方米。绿化总面积90万平方米,道路、中心区用地17万平方米,建筑用地2万平方米。景区建设计划投资9231万元,已投资4911.88万元,是我市城建史上规模最大的生态建设工程,也是南市区开发建设的龙头工程。 景区由西安建筑科技大学按照功能配套、设施完善、以人为本、以水为脉、以绿为基、方便群众的理念进行设计,充分体现了“三池水,一片绿”的特色风光,使人与自然融为一体,有效改善了城市生态环境质量,充分发挥了城市之“肺”的作用。 景区始建于安远沟水库工程。水库工程于2002年9月开工建设,总投资2731万元。工程充分利用双泉水资源,结合自然高差,引双泉水汇集至一号湖,利用3.5米高差、640米长的飘带河流入二号湖,经过2米落差滚水坝进入三号湖,三号湖蓄水经过管道主要供给嘉东工业园区及酒钢高科技养殖园。 目前,景区已完成绿化面积46万平方米,拉运土方37万立方米,种植苗木6.7万株、草坪46万平方米,安装喷灌设施46万平方米。

从嘉峪关关城向北延伸约7公里,至石关峡左侧有一段东西向沿山而上的长城,史称“石关峡左侧长城”。在明代,这段长城与黑山的悬壁长城相连相应,共同构成石关峡口“一夫当关,万夫莫开”的防御工事。1984年,在邓小平同志“爱我中华,修我长城”的号召下,嘉峪关社会各界掀起了修筑长城的热潮,石关峡右侧长城被修复。在石关峡长城边上长大的镇黄草营村农民杨永福,在2001年,决心个人筹资修复石关峡左侧长城。他的这一想法得到了嘉峪关市委、市政府的大力支持,并于当年7月得到甘肃省文物局的批准。

2001年10月10日,杨永福投资的长城修复工程破土动工。

2002年6月18日,这段总长267米的长城工程竣工。

嘉峪关珍贵而丰富的长城历史文化遗产得以很好地保护和保存,有赖于几代人的共同努力。

新中国成立后,当地政府和群众即开始了对嘉峪关城楼和长城的维修保护,揭开了嘉峪关历史新的一页。从20世纪50年代到20世纪90年代,各级政府和群众先后投资820多万元人民币,对嘉峪关城进行数次维修保护。

嘉峪关长城

由于旅游热在中国各地的兴起,嘉峪关市市委、市政府也明确提出把旅游业作为加快该市经济发展的突破口和新的增长点,但同时也强调,在保护的前提下进行旅游开发。

长城第一墩的保护开发即是一个成功范例。走进嘉峪关长城第一墩旅游景区参观,游客第一眼看到的仍是第一墩雄伟及其周围的荒凉,根本看不到一般旅游景区的热闹与繁华。只有绕过长城第一墩,向西行约500多米,顺着讨赖河峡谷下望,眼前才豁然开朗,原来这里旌旗猎猎,还“隐藏”着一座古代军营。走进军营,回首张望长城第一墩,游客才会发现在第一墩东边200米处的讨赖河峡谷悬壁的半中央还有一个半开放式的地下洞穴,那里是横跨讨赖河峡谷滑索的出发点和观景平台。精2003年4月30日,“中国嘉峪关长城博物馆”新馆在嘉峪关关城下正式落成开业,嘉峪关长城乃至中国长城这份独特的历史文化遗产有了一个新的集中展示的舞台。

嘉峪关市长城博物馆始建于1989年10月,位于嘉峪关市区新华南路,是我国长城沿线最早的第一座专题性长城博物馆,专题陈列长城的历史演变、建筑形式、军事作用等。但由于时代的发展,博物馆的陈展方式和陈展条件都有待进一步改善提高,加之博物馆距关城较远,给游客参观展览造成了许多不便。因此嘉峪关市委、市政府决定将长城博物馆搬迁至景区。

2000年9月4日,总投资1000多万元的嘉峪关长城博物馆开工奠基。新馆按照国家二类甲级博物馆的标准设计、建设和陈展,在设计中突出了空间展示效果,采取了地上一层、地下一层的设计方案,整体建筑由四部分相同平面的形体组成,呈方块形组合,总建筑面积近3500平方米。

外形似城堡,为一座品字形环抱状建筑物。内部设计为迂回式休闲格调,由四条视觉通透的走廊串联而成,流畅简洁又富于变化。长城博物馆陈列分7个展厅,共1500平方米。

嘉峪关长城城墙[2]

陈列分为长城历史、长城军事、河西长城与丝绸之路、古今嘉峪关4个部分,充分应用声、光、电等现代科技陈列手法,将长城历史、文物、艺术和长城研究成果浓缩于一馆,多方位、多角度地全面地展示出来。

与此同时,嘉峪关市委、市政府高度关注的长城文化与丝路文化研究在广大专家学者的考证中得到了进一步的进展。

以悬壁长城和黑山为基础开发的又一处重要旅游景点“悬壁长城———黑山峡丝绸之路旅游景区”被提上了议事日程,并于日前完成了景区总体规划、项目可行性研究报告和景区建设设计,得到了国家计委1000万元的国债支持。

心的设计,既让人们领略了长城第一墩的原始风貌及其所承载的历史沧桑,又能让通过复原的古代军营体验当年戍边将士的艰苦生活,还可以乘滑索飞跃讨赖河大峡谷,感受现代探险旅游的惊险刺激。

“这种藏而不露,是景区设计者们苦心经营的结果。”嘉峪关文物管理所所长杜思平先生对记者说,“投资920万元开发建设的这个景区近4平方公里,主要设施都位于沟壑和地下洞穴,其目的就在于保持长城第一墩周边荒凉的原始自然环境,真实再现历史古迹原貌。这标志着嘉峪关市已在合理开发长城历史文化资源上走出了一条自己的成功之路。”这种成功,在于既成功地宏扬了长城文化,把长城第一墩的原始面貌完好地展现给人们,又实现了对名胜古迹的建设性开发。而这,只是嘉峪关长城文化开发保护中的一个缩影。究其实,不论是经济萧条的往昔,还是旅游业红火的今天,生活在嘉峪关城下的人们始终关爱着这份沉甸甸的世界历史文化遗产,孜孜不倦地探索着宏扬长城文化的可行之路。

2003年4月30日,“中国嘉峪关长城博物馆”新馆在嘉峪关关城下正式落成开业,嘉峪关长城乃至中国长城这份独特的历史文化遗产有了一个新的集中展示的舞台。

嘉峪关市长城博物馆始建于1989年10月,位于嘉峪关市区新华南路,是我国长城沿线最早的第一座专题性长城博物馆,专题陈列长城的历史演变、建筑形式、军事作用等。但由于时代的发展,博物馆的陈展方式和陈展条件都有待进一步改善提高,加之博物馆距关城较远,给游客参观展览造成了许多不便。因此嘉峪关市委、市政府决定将长城博物馆搬迁至景区。

2000年9月4日,总投资1000多万元的嘉峪关长城博物馆开工奠基。新馆按照国家二类甲级博物馆的标准设计、建设和陈展,在设计中突出了空间展示效果,采取了地上一层、地下一层的设计方案,整体建筑由四部分相同平面的形体组成,呈方块形组合,总建筑面积近3500平方米。

外形似城堡,为一座品字形环抱状建筑物。内部设计为迂回式休闲格调,由四条视觉通透的走廊串联而成,流畅简洁又富于变化。长城博物馆陈列分7个展厅,共1500平方米。

嘉峪关长城城墙[2]

陈列分为长城历史、长城军事、河西长城与丝绸之路、古今嘉峪关4个部分,充分应用声、光、电等现代科技陈列手法,将长城历史、文物、艺术和长城研究成果浓缩于一馆,多方位、多角度地全面地展示出来。

与此同时,嘉峪关市委、市政府高度关注的长城文化与丝路文化研究在广大专家学者的考证中得到了进一步的进展。{嘉峪关之行}.

以悬壁长城和黑山为基础开发的又一处重要旅游景点“悬壁长城———黑山峡丝绸之路旅游景区”被提上了议事日程,并于日前完成了景区总体规划、项目可行性研究报告和景区建设设计,得到了国家计委1000万元的国债支持。

篇三:《嘉峪关之秋》

嘉峪关之秋

花朵盛开的春天固然可爱,瓜果遍地的秋色更令人欣喜。嘉峪关的秋天比春天更让人们感到充实更富有灿烂绚丽的色彩。虽说天气已渐渐转凉,一片片黄黄的叶子像一只只美丽的蝴蝶,纷纷离开了大树妈妈的怀抱,轻轻地从树上飘落下来,打着旋儿飘落在草地、小河、庄稼上,这落叶似乎是捎信员告诉大家,秋天到了,秋天到了!此时,最繁华的要属农贸市场了,你看,嘉峪本土产的红色沙襄大西瓜,晶莹剔透如玉的绿葡萄,散发着清香的小香瓜、黄橙橙的梨光杏……让你目不暇接,垂涎三尺。各种水果还没有品尝够,冬天已经踏雪而来。 嘉峪关之冬

我喜欢嘉峪关春光明媚的初春,喜欢清凉如水的夏天,也喜欢硕果累累的金秋,但我更喜欢银装素裹的冬天。

嘉峪关的冬天格外的寒冷而漫长,但嘉峪关的美丽也和寒冷结伴而行。家里热热的暖气依然挡不住大雪的漫天而来,经常一觉醒来,外面已经是银装素裹的世界,走在厚厚的雪地上,“咯吱,咯吱”的声音格外悦耳。无论多厚的雪,都挡不住人们忙碌的脚步。太阳出来了,在大雪的映照下,嘉峪关成了五彩斑斓的世界,尤其是挂在树梢的雪花,似化非化,让整个小树都如冰雕一样,别有一番趣味。而远处的祁连山在身披银铠,更显的壮丽无比,“欲与天公试比高”,在阳光的反射下,比别日更加亲近,仿佛伸手就可触摸到一样。我想这景色一定可以和江南之秀相媲美吧。

无论别人怎么看,在我心里嘉峪关,我的家乡就是那么美,怎么写也写不完。

篇四:《嘉峪关》

甘肃嘉峪关城楼

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5586 作者信息: 发布时间:

2007-12-07 09:44:30

西瓮城外罗城凸出,中辟门向西,为关城正门,门额刻“嘉峪关”三个大字。明弘治8年(公元1495年)于罗城上修建嘉峪关楼,与东、西二楼形制相同,同处一条中轴线上。清同治末年左宗棠驻节肃州时,曾修整关墙和关楼,并亲笔题“天下第一雄关”的匾额,高悬关楼。{嘉峪关之行}.

南北两端城头各有一座箭楼,为警戒哨所。关城四隅各有一座角楼,南、北墙居中各有一座敌楼,城内有游击将军府、宫井。关城城墙四周有瞭望孔、灯槽、射击孔等防御设施。罗城两端连接南、北、东三面土筑围墙,形成外城,周长1263米。外城广场有文昌阁、戏楼、关帝庙、墩台等,外城又与南北延伸的长城连接。{嘉峪关之行}.

登上城头,南望祁连山,雪峰如玉,绵亘千里;北有黑山,石壁嶙峋,如铸铜色。两山

对峙,关踞其间,形势险要,素有“河西第一隘口”、“边陲锁钥”之称。1961年被国家公布为第一批全国重点文物保护单位。

整个关城建造坚固雄伟,气势磅礴,关城呈梯形,周长733米,面积33500平方米,高10米,垛墙高1.7米,东西城垣开门,城楼对称,三层五间式,周围有廊,城四隅有角楼,南北墙中段有敌楼。两门内北侧有马道达城顶。关城正中有一官井。

西面城垣凸出,中间开门,门额刻“嘉峪关”三字。原有城楼,与东西两楼形制相同,三楼东西成一线。俗传当年建关时,匠师计算用料十分精确,竣工后只剩一块砖。此砖今存西瓮城门楼后檐台之上。西门外1里处有石碑,上刻“天下雄关”四字;东瓮城外有文昌阁、关帝庙、戏楼,城内靠北有游击衙门府一座,均为清代所建。

嘉峪关城楼位于甘肃省嘉峪关市西南7公里处,是万里长城西端终点。嘉峪关建于明洪武五年,因城在嘉峪麓故名,自古为军事要地。

篇五:《感赋嘉峪关四首》

感赋嘉峪关四首 银开源

群厦拱星朝镜月, 彩豚腾空刺天庐。 雄关犹在成陈景, 待看新颜数紫珠。

窗对东湖衔远黛, 背依南嶂势雄宏。 松柏杨柳春风暖, 东挡西衔一重城。

夕说阳关封要域, 万千胡马望生威。 雄关犹在烽烟去, 钢铁之都满目晖。

钢铁之都观象塔, 跃居环宇览新容。 无边秀色三环水, 天上人间混一同。

篇六:《雄关如铁何者淬》

西北之行一共六天,最动人心的是嘉峪关。

“金鼓动地战旗猎猎映大漠;铁垒悬月轻骑得得出长城”是嘉峪关游击将军府议事厅的对联,它仿佛一台时空穿梭机,一下子把我从喧闹的人群中拉出来,然后抛掷在几百年前月光如水、大漠苍茫的雄关之上,只待看战旗猎猎,只待听战鼓雷雷,只待在琵琶声中饮尽夜光杯里的葡萄美酒,然后着戎装乘骏马,带长剑挟秦弓,驰骋在沙场,转战于边关,直至洒尽自己最后一滴血。

有多少人是这样的死去呢?不知道在这片荒芜坚硬的戈壁之上,又有多少无名将士的骸骨随着这沙砾一起风化。一个地区、一个国家的安危有多少默默无闻的人在付出:付出自己平常的生活,付出自己的生命,乃至于是一个家庭的幸福。击石燕鸣的传说包含的是一种深深的祈愿,期盼出征的将士能够平安归来。然而平安归来的人又能有几人呢?古人感慨“一将成名万骨枯”,在嘉峪关,有多少枯骨难以数计,成名的将领并不多。搜索百度,也只能知道先有明代征西将军冯胜在此建关筑城,结束了嘉峪关地区有关无城的历史;百年之后又有肃州兵备道李端澄主持修建嘉峪关关楼、尚书翟銮大兴土木加固关城。在游击将军府我们看到了历任嘉峪关游击将军的名单。第一任游击将军是芮宁,他与部下842人一同战死沙场。“醉卧沙场君莫笑,古来征战几人回” 应该是一种诗意化的悲壮,它删节了将士们直面死亡时的恐惧与对生活的不舍,突出了他们的忠于职守、视死如归,却又将这统统化作了悲情的豪放与潇洒,挥洒在酣畅淋漓的醉酒之中。

生非容易死非甘。在嘉峪关,视死如归需要的是一时热血沸腾的豪情,但生却要能耐住大漠的苍凉和长久的寂寞。“大漠孤烟直,长河落日圆”固然壮丽,但架不住日日如此、年年如此。从嘉峪关关城的建筑我们可以一窥当时将士的生活:“建筑是历史的年鉴,当歌曲和传说已经缄默的时候,而它还在说话”。嘉峪关关城有2.5万平方米,墙高10余米,除了三座巍峨壮丽的关楼,还有游击将军府邸、校场、关帝庙、文昌阁、戏楼、水井等等,关城外也有营房。校场是练兵之处,我们在游览中很有幸地赶上了练兵表演。站在嘉峪关的城楼道上俯瞰校场,只见夏日骄阳下刀光闪闪,将士凌空翻腾,身轻如燕,很有气势。关帝庙祭祀关羽,自有请他保佑之意。文昌阁是文官办公之处,通关文牒是其管理的重要内容之一。从这些建筑我们可以想象将士生活的艰苦与单一。

在嘉峪关的建筑中与整体相当不一致的是娱乐设施戏楼,戏楼供奉道家八仙,两边刻着楹联:“离合悲欢演往事,愚贤忠佞认当场”,意思简明却不简单,令人感慨。然而更耐人琢磨的却是戏台东西两壁的绘画:西墙画着一位面带笑容的老和尚拼命压住了一小和尚头顶,却凝神盯着另一个弟子手持的铜镜,眼中写着赤裸裸的欲望。原来铜镜里照的是东墙的影像:一个坦胸的女子,她衣带半解,怀抱怪胎,旁边两个小和尚目瞪口呆,也不知是看“大部分真理”看的还是看怪胎后这样。在威严的关城出现这样的壁画,有点让人费解。导游给出了三种解释:警告说---和尚与妇人私通,佛祖降灾,以示警告;诋毁说----清朝道教盛行,借一切可能的机会诋毁佛教;调侃说---还有人认为是对将士长期单身生活的一种调侃舒压。在军营里出现这种壁画,还是最后一种解释更符合人的本性吧。

雄关如铁,嘉峪关就好似悬挂在西北边陲的一把利剑,而这把利剑用了多少普通士卒的生命和他们家人的幸福淬火而成!“岁岁金河复玉关,朝朝马策与刀环。三春白雪归青冢,万里黄河绕黑山。”走在这雄伟的关城,值得我们怀想与尊敬的应该还有那些没有还家没有留下

名字的征人。

篇七:《嘉峪关见闻》

嘉峪关见闻

放暑假了,妈妈带我去姑姥姥家玩儿。我姑姥姥家住在甘肃省嘉峪关市,那里有一望无际的戈壁滩,还有许多古长城遗址,比如:明长城墙、悬臂长城、长城第一墩、讨赖河等。今天,就让我在嘉峪关看到的一切给你们讲讲吧。

悬臂长城

悬臂长城是明代万历长城的西端的起点。因为长城筑在石关峡口南北山的山脊上,远远望去,就像一条长龙倒挂在山脊上,所以取名为“悬臂长城”。站在长城上向南眺望,就是雄伟壮观的嘉峪关市。

万里长城第一墩

长城第一墩,又名讨赖河墩。长城第一墩建于公元1539年,是明代万里长城最西端的第一座烽火台。长城第一墩西面是浩瀚的大漠,北面与天下雄关——嘉峪关相连,南面是高低起伏的大山。墩台矗立在讨赖河北岸56米高的悬崖上,真的称上天下第一险墩呀。

一望无际的戈壁滩

戈壁滩上遍布着五颜六色的奇形怪状的石头,这石头大大小小,漂亮极了。我忍不住捡了许多好看的石头,带了回来。其实戈壁滩上不光有讨人喜爱的石头,还生长着一簇簇的骆驼草和天然的绿色植物沙葱。这种沙葱是戈壁滩上特有的一种植物,它长得细细的,小小的,不仔细找还真发现不

了。我们用了一下午的时间拔了许多沙葱,回到家美美地吃了一顿沙葱饺子呢,真是美味呀!

大如车轮的大干饼

在嘉峪关市的大街上,随处可见的当然是大干饼,那大干饼大概有车轮大小,薄薄的、脆脆的,咬上一口又香又酥,真好吃。如果你要来嘉峪关游玩,一定不要忘了尝尝呀!

嘉峪关的好玩的、好吃的、好看的真是太多了,一时也说不完,等有空了再给你们介绍吧。

忙碌的暑假

暑假天,每天都是大忙天,忙着吃、喝、玩、乐……

第一大忙:补习班

还没放暑假,妈妈就给我报了补习班。暑假还没过上几天,一大早,我就被妈妈从可爱的床上拉了起来,骑着她的小电动车,把我带到补习班,就上班去了。我走进了教室,过着和上学一样的生活。我们在教室里写作业,在教室里学习,在教室里比拼才艺……在补习班,我很快乐。

第二大忙:游泳

几乎每天下午,妈妈都会带我和思颖一起去练习游泳。在妈妈的用心指导下,我的游泳技术长进了不少,我不仅学会了蛙泳,还学会了仰泳呢。我们就像一条条灵活的小鱼一样在水里游来游去,我喜欢游泳,它带给我很多乐趣。

第三大忙:玩

暑假期间,妈妈每周都会带我出去转一转,玩一玩。近的,我们去了许昌文博馆,看了看博物馆、图书馆、规划馆。我们还去尧山漂流了呢。远的,妈妈带我到了雄伟壮观的嘉峪关市游玩,在那里,我们看到了壮丽的悬臂长城,讨赖河和长城第一墩,我还看到了一望无际的戈壁滩呢!

这个暑假,我在忙中度过,终于,暑假结束了,我又可以重归校园啰!

制作潜望镜

“叮当当,叮当当……”上课铃声响了,我和小伙伴一起走进了402教室,今天是我最喜欢的小牛顿班。

“好了,开始上课。昨天我们学做了万花筒,万花筒是由三个平面镜片组成的,因为平面镜能反射光合图像。”老师说。我们和老师一起复习着万花筒的制作原理。“今天我们来学习制作潜望镜,大家都知道潜望镜在水下也能看到水面上的物体……”接着老师给我们讲了潜望镜能从下面看到上面的原理,哦,原来是这样的:潜望镜是在潜望筒的两个拐角处放上平面镜,利用光的反射作用而制成的。

开始动手制作潜望镜了,老师给我们每个人发了一个不规则的大卡片了,卡片左边就像是上楼梯,一节比一节高,右边则像是下楼梯,而且在两侧的最长一节的旁边,还有一{嘉峪关之行}.

个挖空处。我们在两边最长一节的中间,粘上了两块镜片,然后把大卡片卷成筒状,把有镜片的两节斜着粘进筒里,把筒封好就可以了。

下课了,我们恋恋不舍地走出教室,不知道下一次还有上面有趣的东西在等着我们呢。

篇八:《嘉峪关》

嘉峪关:培育新能源示范基地产业集群

亚商地板

继华电嘉峪关10兆瓦光电一期工程并网发电后,总投资4亿元的二、三期光伏发电项目工程正在紧张施工中„„金秋时节,记者驱车来到嘉峪关新能源示范基地项目建设现场,被眼前生机勃勃的景象所吸引。

随着嘉峪关新能源及新能源装备制造基地建设走向纵深,酒钢集团重工公司、中核嘉华核设备制造公司等一批新能源装备制造业骨干企业正蓄势待发。

嘉峪关,这座工业城市正凭借战略性新兴产业,吸引着人们的目光。

“嘉峪关要牢牢抓住省上实施区域发展战略,规划好产业对接,加强与科研院所和企业的合作,加快形成新能源示范基地的产业集群。”嘉峪关市委书记、市长郑亚军说。

立足市情 乘势而上

在嘉峪关市工信委主任侯强的办公桌上,摆放着《嘉峪关市光伏

发电产业发展规划》和《嘉峪关新能源装备制造业发展规划》等文件。早在2009年上半年,嘉峪关已经把城市定位为“新能源示范基地”,从两方面着手开始建设。一方面,发挥太阳能资源富集优势,努力打造河西光伏发电新能源基地。另一方面,发挥工业基础雄厚优势,努力打造新能源装备制造基地。

侯强告诉记者,嘉峪关市地处河西走廊中部偏西,晴好天气多、日照时间长,大气透明度高、光照充足,全年日照总时数3033小时—3316小时,对发展太阳能资源十分有利。从广阔的市场前景角度而言,嘉峪关远期规划总装机容量500兆瓦,争取3年—5年建成光伏发电示范基地。中国华电十年内规划建设1000兆瓦光伏发电项目;大唐集团、北京金能等企业的新能源项目正在开展前期工作。

目前,嘉峪关正抓住河西千万千瓦级风电、百万千瓦级太阳能发电基地建设的有利时机,加快风场开发、光伏发电、光热发电发展步伐,积极介入太阳能光伏、光热发电以及风电设备等新能源装备制造领域。

借得东风 跨越发展

嘉峪关新能源示范基地的建设,处处闪耀着区域发展战略的智慧光芒。{嘉峪关之行}.{嘉峪关之行}.

2009年10月,省委提出“中心带动、两翼齐飞、组团发展、整体推进”的区域发展战略,明确提出要把河西地区建设成为新能源及新能源装备制造基地,并要求大力发展冶金新材料,提升钢铁产业水平。这也为嘉峪关经济社会快速发展提供了政策保障。

借此,嘉峪关市将新能源产业作为“十二五”重点发展的新兴产业,一大批新能源项目顺利实施,新能源企业发展势头强劲。截至去年年底,全市规模以上新能源与新能源装备制造企业9户,超过1亿元产值的企业7家,完成产值20.78亿元,在新能源及新能源装备制造这两大领域已初步形成优势。

现在,嘉峪关市政府已和中国华电集团合作并签订了协议,计划用5—7年的时间,投资260亿元—300亿元,陆续建设光伏电站、光热发电、分布式能源、光电设备制造等项目,打造世界最大的光伏、光热发电基地。嘉峪关也基本形成了新能源装备制造的产业集群,目前,西部重工、龙泰钢构、海特新能源公司等企业已经步入亿元产值企业行列;上海航天机电公司、北京京城机电公司等企业正在积极推进晶硅太阳能电池等新能源产品的研发和产业化等项目,形成太阳能光伏产业链的重点。

嘉峪关独特的区位优势,也为新能源产业发展插上了有力的“翅

膀”。作为兰州以西、乌鲁木齐以东承东接西的重要支点,嘉峪关的公路、铁路、航空运输已呈立体格局,国道312线连霍高速纵贯全境,兰新铁路与嘉峪关—策克和嘉峪关—镜铁山支线铁路已形成十字构架。嘉峪关火车站也是一等客运站和一等货运辅助编组站,每天有46趟列车通过;民航嘉峪关机场飞行区等级为4D级、兼顾E类亚欧航路备降场,有直达北京、上海、郑州、兰州、西安、成都等地的航线,区域交通枢纽地位已经初步形成。

更让这个朝气蓬勃的工业城市值得欣喜的是,借助新能源产业,酒钢这家老企业焕发出别样的青春。目前,风电工程用钢已占据酒钢品种板材的“半壁河山”。酒钢也已成为以钢铁为主、多业并举的跨地区、跨行业的特大型企业集团。在9月3日中国企业联合会、中国企业